To:チームメンバーのみんなへ
私は先日、インターネット上のコラムで、
ティール組織に対しての批判を見つけました。
その要旨は、こんな内容でした。
・トップダウンでないと組織は回るわけがない。
・トップは組織で背負っているものが大きいので、
トップ以外がトップの役割を手伝うことはできない。
・リーダーは恐怖を隠して、「仮面」をかぶればよい。
そうです、ハーバードビジネススクールの研究で
実証されている内容を全否定するような内容でした(笑)。
いやぁ、よくもこんなエビデンスがないコラムを
インターネット上に書けるねぇ……と感じました。
ただ、こういったことを書いてしまう人に対して
私が共感できないわけではありません。
なぜなら、私自身も昔、このコラムの著者と
同じようなことを考えていたことがあったからです。
まず私は、「私は強くあらねばならない」
という「べき論」を持っていました。
すると、恐怖を持っている自分を隠したくなったのです。
これを、ユング心理学では「ペルソナ(仮面)」と言います。
また、重荷を自分から背負うことで、
己の強さをアピールしようとしていました。
その結果、周りの人に対して、
「相馬さんは、重荷を背負っても大丈夫な人だ」
と思わせていたのです。
もちろん、少しくらいの重荷であれば
ハードワークをすることでなんとかなります。
しかし、人の3倍や4倍の重荷を背負うことになると、
どんなハードワークをしても乗り切れません。
結局、私はハードワークのしすぎで体を壊しかけて、
このやり方では限界があることを痛感したわけです。
また、昔の私には
「トップは組織で背負っているものが大きいので、
トップ以外がトップの役割を手伝うことはできない」
という思い込みもありました。
実はこの思い込み、私の無価値感から来ていたのです。
「ありのままの自分には価値がない。
トップに立って誰かを助けることで、
周りから認めてもらおう」
と、無価値感はヒーロー願望を作り出します。
そして「残酷なことに」、ヒーローは、
助ける相手として貧弱な人を必要とします。
これはコインの表と裏のような関係で、
両者を切り離すことはできません。
助ける貧弱な人が存在しなければ、
ヒーロー自体も存在できないからです。
結果、私の周りには貧弱な人が集まることになりました。
私のおかげで貧弱な人が助かっていたので、
それで私は無価値感を埋めていたのですが、
これは明らかな矛盾を含んでいました。
なぜなら、貧弱な人が私の周りにいることで、
私自身も助けられていたからです。
貧弱な人がいなければ、
無価値な自分を満たせないし、
ヒーローにもなれないという事実。
強い人は実は周りから助けられていた弱い人であり、
助けられていた弱い人も実は私を助けていた強い人だった、
という事実。
まさに、哲学者ジャック・デリダが言うところの
脱構築の構造になっていたわけです。
これに気づいたときは、ショックでしたね。
さて、今の私ですが、無価値感やべき論は
やはり自分にまだまだ残っていると感じます。
だからこそ、前述のコラムに対して、
ピクッと反応したのでしょう。
メタ視点から構造を認識できるようになってきたとは言え、
まだまだ私には修行が必要そうです。